鶴岡東・ユニホームの歴史

選手にとって「正装」であるユニホーム。鶴岡商、鶴商学園、鶴岡東という校名の変遷とともに、ユニホームも時代に合わせて変化してきた。中には当時の高校野球のイメージとは一線を画す印象的なデザインも存在する。1968年の創部から現在まで(*)、その歴史を振り返ってみよう。

*2019年1月まで。その後、2019年夏、2020年春のマイナーチェンジタイプが登場しました。近日、追加予定です。

1968年〜1973年

*写真はレプリカ

「鶴岡商業高等学校」として高野連に登録した際のユニホームがモノクロ写真でのみ残っている。ユニホームのメーカーは不明だが、素材は綿であろう。今ではイメージできないが、色は鮮やかなライトブルーで新設校のイメージに重なり非常に爽やかでスマートな印象を受ける。胸マークは漢字で「鶴岡商高」と入っており、襟・袖・パンツサイド・ベルトループには黒のラインが施されている。袖にはいずれも校章等のマークはなく、非常にシンプルなデザインであった。

1974年〜1978年

*写真はレプリカ

このユニホームも現存せず。まだニット製ではなく伸縮しない綿製が主流だった時代。1977年に「鶴岡商」から「鶴商学園」に校名が変更になるが、ユニホームは「Tsurusho」読みで問題がなかったため、そのまま移行した。左袖には校章が直刺繍、タテジマのユニホームの襟・袖・パンツサイド・ベルトループには太いラインが施され、当時としては色・デザインともに相当目立っていただろう。後年も練習試合等で使用され続けた。

1978年

甲子園出場を機に作成。ニットで収縮性も高いミズノ製。ライトグレーに緑ラインというプロモデル並みのハイオーダー。袖の形状はミズノ特有のラグラン袖で首・袖・パンツサイド・ベルトループには深緑のラインが施され、左袖には金色で校章を直刺繍。胸の校名の縁取りは金糸を使用。緑を基調としたユニホームに、緑色の帽子・ヘルメットは全国的にも珍しかった。翌春に再びユニホームを新調したが、その後も地区大会等で着用され続けた。

1979年〜1985年

ローリングス製、ニットタイプ。1979年のセンバツ出場時に新調。胸の校名は帽子・アンダーシャツと同色の緑地に金縁で「Tsurusho」と筆記体。左袖には校章を刺繍、右袖には校名・県名は入っていない。ウエストの赤タグ、襟の白タグはローリングス完全フルオーダーの証。春季・秋季大会用として数年間、着用されたが、1985年、高野連の規定変更で帽子・アンダーシャツ・ストッキングの色が黒に変更、使用も終わった。

1983年〜1988年

ミズノ製、スポーツメッシュ生地採用。高野連の規定変更でヘルメットの緑の使用が不可に。それに伴い1983年、ユニホームの基本カラーが緑から黒に変更された。スポーツメッシュ生地の導入は県内初という声もある。胸の校名も緑地から黒地に変更。また従来のモデルよりも文字の斜め度が強い。右袖には「鶴商学園」と隷書体の刺繍が入った。このメッシュモデルは夏の大会のみの着用。シーズン別にユニホームを使い分けるきっかけとなった。

1986年〜1997年

ローリングス製、ニット生地を採用した春季・秋季大会用ユニホーム。フルオーダーのためメーカーの型番は「鶴商学園-01」であった。メーカーからの依頼で、わざわざ作った生地を少しでも使うために、当時のソフトボール部のユニホームも同デザインを採用。このニット生地は、その後もローリングス社の九州倉庫に保管されていたが、校名変更やデザイン変更に伴い本校からの注文の可能性がほぼなくなったため2002年頃に廃棄処分された。

1989年〜1998年

鶴商学園としては一番長く着用されたモデル。フルボタンタイプにセットイン袖のローリングス社特有のスタンダードな型に、グレー地に緑ストライプの配色。カタログ外完全フルオーダー。それまで夏の大会用のメッシュタイプはミズノ製、春季・秋季大会用のニットタイプはローリングス製が採用されていたが、1989年よりメッシュタイプもローリングス製に統一された。結果、ユニホーム形状やデザインもニットタイプと同一化することに。

1999年

「鶴岡東」へ校名変更する直前の1年間のみ使用。アイボリー基調、2ボタンのセミハーフタイプに立ち襟とフルモデルチェンジ。胸の校名は緑地に金縁の刺繍。脱着しやすいよう胸元は真ん中のRの文字を分断するほど大きく開くため、ボタンより下はマジックテープで合わせる。右袖にはエンジで「鶴商学園」と刺繍、左袖にはワッペンの校章。校名変更後も胸の校名末尾の「SHO」を「OKA」に再刺繍し、セカンダリーとして使用した。

2000年〜2005年

「鶴岡東」と校名変更後、最初のモデル。ミズノ製。2ボタンのセミハーフボタンシャツでパンツ側面にはグリーンのライン。胸の校名は「TSURUOKA」となり緑色に金で縁取り刺繍。ポリエステル等を特殊加工した軽量感のある光沢サテン生地。襟の内側には異なる緑の生地を用いて首元の汗による不快感を解消する。前開き部分は先代より小さく胸の刺繍マークを分断しないシャツ形状。左袖には校章、右袖には「鶴岡東」と刺繍。色はともに緑。

2005年〜2011年

ミズノ製。鶴商学園時代のグレー地に緑のタテジマというデザインが復活。ベースはグレーよりも明るいライトグレー、タテジマもダブルラインと、より現代的イメージに。胸の校名はブリュワーズ型で「Tsuruoka」、緑地に黄色の縁取りが刺繍で施されている。佐藤俊監督の出身大学でもある立正大学のユニホームと同デザインの色違いともいえる。ラグラン袖に2ボタンのセミハーフボタンタイプ。左袖には「鶴岡東」とゴシック体でマーキングされている。

2011年〜2015年

ミズノ製。2011年夏の甲子園出場時に新調。マーキングは、それまでの主流だった刺繍から、軽量かつ速乾性も兼ね備え、さらにデザインの自由度も高い「昇華プリント加工」に変更。ただ、当時は金色の発色や3D立体加工の技術が現在ほど高くなかったため、黄色の縁取りは蛍光色に近い。しかし、その明るいカラーリングは30年ぶりの甲子園出場と相まって、爽やかさとともに「鶴岡東」の名を全国に印象づけたのではないだろうか。

2015年〜

ミズノ製、昇華プリントタイプ。2015年夏の甲子園出場の際に新調。昇華プリント技術が進化して金色の発色、影加工の完成度も上がり、非常に立体的なマーキングになった。タテジマはダブルラインから太めのシングルラインに、ライン幅も大きく変更。生地のグレーも鶴商学園時代を彷彿させる濃さが復活した。右袖に施した校章の下の「YAMAGATA」の文字はなくなりシンプルさを強調。現在も多くの公式戦で着用されている。

2016年〜

2016年夏の甲子園出場時に新調。歴代初のデサント製、昇華プリントタイプ。耐久性を重視しつつ、激しい動きを妨げない、滑らかさがある生地の薄さが特徴的。右袖・校章下の「YAMAGATA」の県名表記が復活、胸マークは金色の度合いを若干弱めると同時に立体的に見える3D感は控え目に。また、襟元には緑のライン加工が施してある。現在は前モデルと大会ごとに使い分け、ジンクスやゲン担ぎで着用タイプを決めることもあるとか。

番外編

公式戦用よりも愛着深い? 個人購入ユニホーム

 公式戦での着用はないが、2012年より1年生時、入部と同時に全員が購入し、主に練習試合や遠征時に着用していたのが写真④のユニホーム。ゼット製の昇華プリントタイプ。公式戦用とは違い、タテジマには全国でも珍しいトリプルラインが用いられ、胸マークは昇華プリントで加工されている。ベース色はグレーではなくホワイトが採用された。部員数が急激に増えた頃の個人持ちのユニホームであるがゆえに、公式戦用のユニホームよりも思い出深いOBも多いのではないだろうか。現在もまれに遠征などのセカンダリーとして着用する機会もある。
 ちなみに、鶴商学園時代も白地のユニホームの左胸に、漢字で「鶴商学園」、あるいは校章が入ったタイプのユニホーム(写真①②③)を個人購入する時代があった。それらは練習試合でも用いられたが、1990年代後半からはチーム名が施されたベースボールTシャツや帽子が普及。本校でも採用され、それで練習試合を戦うこともあった(写真⑤⑥)。また、1990年代後半には公式戦用ユニホームを全員購入していた時代もあるなど、個人購入ユニホームをめぐる話題も豊富である。