OB座談会/甲子園を目指し 大阪から雪の降る街へ

第48期(2015年/平成27年度)
黒川大翔 田辺 和
山口広大 吉岡航平

近年、大きな力となっている遠方から進学してくる選手たち。彼らは何を思い、どんな気持ちで鶴岡へやってくるのか? その心情と日々の暮らしについて語ってもらう。登場してもらったのは、2015年夏の甲子園に出場した4人の大阪出身の選手たちだ。

鶴岡東の夏の甲子園初勝利を記録。ベスト16入りした48期

大阪からの地方進学は
普通といえば普通

——鶴岡東を志望した理由を教えてください。
吉岡:甲子園に出たくて、そのためには、とりあえず県外の高校かなと思っていました。それで、シニアの監督に勧められたのが鶴岡東。ちょうど中2の時に甲子園に出ていたので、名前も知っていたし、専用球場があるのも魅力でしたね。
田辺:吉岡と同じシニアでプレーしていたので、僕も同じ感じです。
黒川:僕も甲子園に行きたいというのが一番で……。大阪トップの強豪校は全国でもトップクラス。正直、そこに進学できないのであれば県外だなと。そしたらシニアの監督に鶴岡東を勧められました。
山口:僕もボーイズの監督の勧めですが、兄が鶴岡東に進学していたので、それも理由です。
——東北へ行くのは嫌ではなかった?
田辺:大阪から全国各地へ進学すること自体は、周囲にもそういった選手はたくさんいるし、普通といえば普通なので。
黒川:甲子園にこだわらないなら大阪の公立校などで野球をやるのもいいのですが、自分のような立場で、どうしても甲子園に出たいなら大阪を出た方がいいと思います。
——鶴岡の第一印象は?
黒川:初めて鶴岡へ行ったときは、親のクルマで行ったのですが、鶴岡に近づくと一面田んぼの中にコンビニがポツンとあるような風景が見えてきて……。田舎だとは覚悟していましたが、だんだん「ヤバいな」って(笑)。
吉岡:ドリームスタジアムにも行ったんですが、基本的に駐車場が無料じゃないですか。「タダで入れるんやな」と思ったのが印象に残っています。
山口:僕は兄が進学していたので、もともと環境は知っていたし、生まれは福岡なんですけど、似たような田舎だったから「こんなもんやろな」と。
田辺:それよりオープンスクールのアウェー感で緊張していてそっちの印象が強いです(笑)。
——(笑)。では野球の印象は?
山口:想像よりもレベルが高かった。シンプルに地元出身選手の身体能力が高くてびっくりしたんですよ。すごいなって。
田辺:足は速いし、マット運動をさせればすごいし。
吉岡:あー、確かにマット運動はびっくりした。
山口:なんでみんなあんなマット運動、ヤバイんですか?(笑)
吉岡:ただ、選手によっては、話をしてみると野球を深く考えているか、という点では関西出身の選手の方が勝っているかな、という印象も受けました。
——「深く考えている」とは?
吉岡:一言でいえば野球の知識。「なぜこの場面でこのサインプレーをするのか」とか、同じプレーでも何を意識しているかの違いとか。僕にしてみると、だいたい中学時代に知っていたことだったんですが……その意味では中学時代の違いが大きいのかな? 今は鶴岡も進化していると思いますが。
山口:僕の弟のチームもそうだったけど、関西は日本一を経験した人が少年野球の監督をしていたりとか、けっこうあるからね。
吉岡:でも、そんな選手も佐藤監督に技術や戦術を教えてもらうと、どんどん伸びていくんですよ。

1番セカンドでチームを牽引した田辺和。
内外野を万能に守った山口広大。

思い出は練習からの帰り道
生まれて初めて星に癒やされた

——成長を感じた瞬間は?
吉岡:1年生の秋に日大山形に負けたのが悔しくて、「オレらは1年生大会で優勝しよう!」と練習に取り組む姿勢が変わったのがよかった。
山口:ちょうど地元出身の選手も伸びてきて。
——チーム内競争は激しかった?
田辺:2年生からレギュラーだった選手は割と固定だったけど、その他は。
吉岡:その空いているポジションに入ったのが黒川。
黒川:自分としてはそこを狙っていた意識はなくて「このままじゃ試合に出られへん」って危機感があって、ガムシャラに練習していたら出られるようになった感じなんだけど。
——どんな練習を?
黒川:とにかく自分の武器を、と徹底的に守備を鍛えました。
吉岡:田辺、黒川を見習えや(笑)
山口:お前、才能タイプやから(笑)。
田辺:いや、新チームの最初は自分も黒川とセカンドの奪い合いやったんだって(笑)。ダブルヘッダーの練習試合でサードとセカンドを黒川と交互に守ったり。
吉岡:まあ、佐藤監督はいくら技術があっても人間性が伴っていないと使わないしな。
——親元を離れてまで甲子園を目指して進学してきたんだから、みたいな意地もあった?
山口:そこまででもないかな?
吉岡:来てしまえば、ここで野球をするのが当たり前の日常になりますからね。
黒川:基本的に毎日、学校と練習と寝るの繰り返しだし。
田辺:むしろ寮は帰ったらみんながいるから、いっぱい話ができて楽しかった。家だと話をするのは兄弟くらいじゃないですか。
——そういった日常の暮らしの思い出はありますか?
吉岡:高坂のグラウンドから寮へ自転車で帰る時間がよかったです。下りで気持ちいい。グラウンドの照明を全部消すと星空がきれいで。生まれて初めて星に癒やされました(笑)。あれは鶴岡のよさとして誇れると思います。空気も澄んでいてきれいだし、真っ暗なのもいい。大阪だと、絶対、道に街灯があるじゃないですか。
田辺:確かに帰り道は楽しかったな。いつも髙田(髙田稜・48期)と帰っていたんだけど、本当におもしろかった。
——えーと、それは髙田君が?
田辺:はい。やることがおもしろいんです(笑)。
山口:引退して「金峰の神様に挨拶に行こう」と登山をしたのも思い出かなあ。頂上で飲んだ水がおいしかった。
黒川:自分は……やっぱり野球の思い出の方が強いなあ。「帰った」こととか。
——「帰った」こと?
黒川:夏大前の練習中、ノックでポロポロやっていたら監督に呼ばれて「今日は温泉入って帰れ」って言われたんです。そしたら、なんか泣けてきて。
吉岡:あれなあ、後で話を聞いたけど、みんな「今日は黒川を休ませよう」と思ってやったらしいよ。黒川、めっちゃ真面目やから。
——そうでもしないと休まない。
黒川:疲れているように見えたんかな。

学生コーチの面白さに目覚めた吉岡航平。
甲子園で本塁打を放った黒川大翔。

自分のことは自分でやる
鶴岡で少し大人になった

——では最後に鶴岡東で野球をやってよかったことを教えてください。
田辺:やっぱり甲子園に行けたこと。秋の東北大会準決勝で大曲工負けて、本当に悔しかったから。
吉岡:勝てたもんな。たぶん全員がそう思っている。
山口:相手が(優勝した)仙台育英じゃなかったから油断したのかも。
吉岡:でも、仙台育英に負けていたら、あそこまで悔しくならなかったんじゃないかな。納得してしまうというか。監督、負けた瞬間、頭が地面につきそうなほど頭を抱えていたし、ウチの最後のバッターの打球が左中間に飛んだ時も叫んでいて。あんな姿、初めて見た。
山口:「入れ——————!」ってな。
吉岡:結局、ダイビングキャッチをされて負けたんだけど。
黒川:自分の挟殺プレーのミスで負けたと思っていたから、ホテルに帰った後、床でずーっとうずくまっていた。だからこそ、夏は甲子園に行けて本当によかった。
山口:黒川は大人しそうに見えて本当に芯が強い。やっぱ甲子園でホームラン打つんはこういうヤツなんやな(笑)。
吉岡:僕は裏方の仕事を薦めてくれた佐藤監督に出会えたこと。選手としては下手だったけど、学生コーチでいっしょに戦っている感じを経験できて、野球に対する情熱は選手の時よりも強くなったかもしれない。今も大学で学生コーチをしているけど、めっちゃ楽しいし(*当時。吉岡は現在、鶴岡東で教員として働きコーチを務めている)。
山口:そういう意味では、僕も鶴岡東で少し大人になれたかな。上下関係とか苦手だったけど、人づきあいとか少しはうまくなった気がする。監督、そういうの本当に上手いから。人を乗せるのも。
吉岡:超上手いよな。
田辺:自分、単純なんでホメられるのがうれしかった。
吉岡:厳しいけど、1対1になると優しい。一人ひとり、やり方というか接し方が違っていて、よく見ているな、と思います。
山口:ともあれ、親元を離れて暮らしたことは、自分のことは自分でやるようになったのでよかったです。自立できたと思うし。今、一人暮らしだけど、困ること、何もないですからね。

金峰山へ登って記念写真。

想像以上に鶴岡での暮らしになじんでいた4人。甲子園という夢のために、15歳で親元を離れることを決心して野球に打ち込んだ話を聞くと、出身地のことなど関係ないとあらためて教えられる。もっとも彼らにとってみれば、それは特別なことではなく、夢にために何をすべきか考えた当然の選択なのかもしれない。さまざまな背景を持つ選手が鶴岡で出会い、切磋琢磨するのは、10代の少年たちにとって視野を広げてくれる、大きな刺激になるだろう。これからもいろいろな選手たちが集う鶴岡東であってほしいものである。