鶴岡東・練習グラウンドの変遷

歴代の選手たちが甲子園を目指して日々、汗と涙を流した練習グラウンドは、ある意味、甲子園よりも大切な場所であり、思い出深い場所だろう。そんな練習場の歴史をまとめた。

1968年〜1971年頃

学校グラウンド

(鶴岡市切添町22-30)

1971年頃の学校写真。校舎の前は土のグラウンドである。

創部当初の鶴岡商野球部の練習グラウンドは学校の校庭だった。実は現在、コンクリートで舗装されている校舎前のスペースは、かつて土のグラウンドだったのである。また同時に現在、ソフトボール部が練習で使用している鶴岡東高校グラウンドも練習で使用していた。以前、グラウンドそばにあった山形情報経理専門学校の校舎がなくなり、そのスペース分、グラウンドも拡張されたが、それまでは写真より狭いグラウンドだった。

現在の鶴岡東高校グラウンド。運動会で使用した思い出があるOBも多いだろう。

1971年頃〜1994年

赤川グラウンド

(赤川河川緑地公園野球場/鶴岡市大宝寺字立野他)

霊峰・月山を望む赤川グラウンド。土手から練習を見学する人も多かった(写真は1970年代)

田中英則監督が鶴岡市に相談して使用できるようになった赤川河川敷の野球場。学校からは徒歩約5分、関係者の証言によると使用開始は1971年3月頃。当初は設備も貧弱だったが、選手たち自らの手で整えていった結果、後年には公式戦でも使用された。ホームランの打球は赤川河畔の繁みへ入るためボール探しも一苦労。だが、それが息抜きの時間でもあったのは多くのOBが記憶する通り。現在は草野球などで使用されている。

現在の赤川グラウンド。OBが草野球で使用することもある。
春になると土手の桜が美しく咲く赤川グラウンドだが、練習に必死で愛でる余裕はなかった……。

ホームベース付近から見えるのは山形の最高峰・鳥海山。土手を走る〝赤ラン〟も忘れがたい。
この階段を監督が降りてくるとグラウンドには緊張感が……。
1989年頃の様子。用具室や吹きさらしのベンチ、ブルペンなどが懐かしい。

1995年〜現在

高坂グラウンド

(鶴岡東高校総合グラウンド野球場/鶴岡市高坂字鉢ケ森36−1)

センター後方の斜面の舗装が印象的な高坂グラウンド。

1995年に開場。学校からやや離れているため移動時間はかかるものの、外野フェンス、照明など練習、試合には申し分のない設備を有する待望の専用球場の完成は、多くの関係者を喜ばせた。学校や多くの人の協力を得て、バックネット裏控え室の設置なども進み、年々充実した練習環境となっていった。グラウンド入口横には第2ブルペンも備えるサブグラウンドもあり、多くの部員が効率的に練習に励めるようになっている。

写真では見えにくいがバックネット裏にはスコアや放送設備を備えた控え室がある。
外野フェンス奥のブルペン。サブグラウンドにも第2ブルペンがある。
外野フェンスの奥はセンター方面に見える坂を駈けあがるランニングスペースにも。
内野スペースを確保するサブグラウンド。
グラウンド入口、駐車スペースの奥にある選手の更衣室。
現在、福岡ソフトバンクに所属する吉住晴斗(第50期)が寄贈した応接室。
グラウンド入口に建つ管理棟は、2階からグラウンドへ直接アクセス可能。写真手前から道具部屋、マネージャーらの作業部屋、指導者部屋。
今後もこのグラウンドから好チーム、好選手が育つことを願う!

*番外編 室内練習場の歴史

鶴岡東初の室内練習場(雨天練習場)は1976年に誕生。県内の高校野球部では初めてともいわれた。その後、1990年にはブルペンや部室、トレーニング機器も備える新・室内練習場が誕生。現在も土を人工芝に張り替えて使用されている。